夏の道東を満喫!4泊5日モデルコース【女満別空港着・釧路空港発】
2024年8月6日
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釧路の観光と言えば、釧路湿原や幣舞橋、和商市場などが人気ですが、定番の観光地は飽きた!という人もいるかもしれません。
ネットで「釧路観光 穴場」と検索しても定番スポットを紹介した記事ばかりで、結局釧路の穴場の観光スポットはなかなか見つけられません。
この記事では、元町(もとまち)エリアを紹介します。
元町エリアは釧路発祥の地と言われる場所ですが、あまりガイドブックには取り上げられない場所ですが、釧路の歴史を知るにもぴったりの場所です。
元町に行く前に、この場所がどういう場所なのかを知っておくことをおすすめします。
釧路の由来である「クスリ(薬(温泉)の意)」が、文献に初めて登場するのは1643(寛永20)年に書かれた「松前旧事記」です。
江戸時代末期になると、北方防備の重要性もあって松前藩は「クスリ場所」と称する漁場を開設しました。
1869(明治2)年には、クスリは釧路と改称され、釧路国釧路郡と定められます。
翌年の1870(明治3)年には、「釧路場所」を任されていた商人の四代目佐野孫右衛門(屋号は米屋)が、秋田や山形、函館などから移住者を募集して、174 戸 537 人が定住するようになりました。
この佐野孫右衛門の功績をたたえ、屋号である米屋から付けられたのが、釧路港を見下ろす高台にある「米町(よねまち)」です。
そして、米町は釧路発祥の地であることから「元町」とも呼ばれています。
元町は、かつて商家や料亭、石川啄木が通った遊郭などが建ち並ぶ、釧路経済発展の中心となった場所です。
現在も神社やお寺など古い建物が残っていて、昔ながらの港町の風情が残る魅力的なエリアです。
高台に位置する「米町公園」は、釧路の街並みや釧路港の景色を一望できる展望スポットです。
旧釧路埼灯台をモチーフにした展望台に登ると、晴れた日には摩周湖や斜里岳までを見渡すことができます。
敷地内には、石川啄木の生誕50年を記念して建立された「石川啄木歌碑」があります。
「米町ふるさと館」は、海産物商の渡辺虎蔵が明治33(1900)年に建てた店舗兼住宅で、釧路に現存する木造民家では最も古い建物です。
当時の商家の生活様式をそのままに再現した建物の中には、生活道具や明治、大正期の釧路の町並み写真、石川啄木に関する資料などが展示されています。
■所在地:北海道釧路市米町1丁目1-21
■開館日:5月1日~9月30日(金曜日〜日曜日、祝日の月曜)
■開館時間:10:00~15:00
■釧路・阿寒湖観光公式サイト 米町ふるさと館
https://ja.kushiro-lakeakan.com/things_to_do/2860/
文化2(1805)年に、漁場請負人の二代目佐野孫右衛門が漁場の安全と大漁祈願の為、安芸の宮島の厳島神社より弁天様を招いて、「弁天社」として創建されたのが始まりと伝えられています。
その後、明治24(1891)年に現在の場所に本殿を建てて、「釧路國一之宮厳島神社」となりました。
御朱印巡りをする釧路以外から訪れる参拝者も多く、ターコイズブルー、ピンク、ブルーの3種類ある御朱印帳が人気です。
■所在地:北海道釧路市米町1丁目3-18
■社務所:9:00〜17:00
■釧路國一之宮 厳島神社
http://kushiro-itsukushimajinja.com/
船舶の安全を守るため、明治24(1891)年に点灯した釧路埼灯台は、現在は平成13(2001)年に建てられた3代目です。
明治から大正、昭和の時代を経て、今も港町釧路を見守っています。
灯台周辺からは釧路港や太平洋を一望でき、夕刻には世界三大夕日のひとつと称される美しい夕日を眺めることができます。
米町の寺街通りをまっすぐに進んだ先にある弁天ケ浜は海の景色が美しいことで知られる観光スポットです。
この弁天ケ浜には、かつて石炭を運ぶ太平洋石炭販売輸送臨港線が走っていました。
現在は廃線となりましたが、「炭鉱のマチ釧路」を後世に伝えるため、「元町踏切」が再現され設置されています。
滝のように海水が流れる親水広場や多目的広場、遊具広場、休憩棟、釣り護岸などがある海の公園で、市民や観光客に人気のスポットです。
休憩棟の中には、バーベキューコーナーもあり、予約すると利用できます。
マリンパークは夕日スポットとしても有名です。
■所在地:北海道釧路市千代ノ浦1
■開園時間:24時間(バーベキューコーナーは8:00-20:00)
■休園日:無休
■釧路市千代ノ浦マリンパーク
https://www.city.kushiro.lg.jp/sangyou/suisan/1006271/1006273.html
「六園荘」は、昭和29(1954)年に昭和天皇、皇后両陛下がご宿泊された施設です。
その後も、皇族の方々のご宿泊や、釧路市を訪問された来賓を接待する施設として使われてきた由緒ある施設です。
「佐野碑園」は、釧路の開発と発展に大きな功績を残した佐野孫右衛門を称える「佐野氏紀功碑」が立てられていることから名づけられた公園です。
江戸時代末期には、この辺りに漁業と交易をすすめる「久寿里(クスリ)会所」があり、明治時代にはこの付近に釧路初の学校「丸太学校」や「電信分局」も建てられました。
石川啄木が通ったという料亭「喜望楼」の跡もあります。
「武富小路(武富私道)」は南大通から分かれる小路で、明治時代に佐賀出身の商人、武富善吉が整備した私道です。
小路の入り口には、武富善吉が釧路に残した足跡と、その本邸がここにあったことによる「武富小路(私道)」の由来が刻まれた石碑があります。
「休み坂」は明治17(1884)年に周辺が開墾されたときに通じた坂です。
名前の由来については諸説ありますが、急勾配のため、途中で休憩を取らなければ上れないというところからついたという説もあります。
坂の出口には石川啄木の歌碑が立っています。
公募によって300点近くの応募の中から「啄木ゆめ公園」と名づけられた公園です。
この場所は、石川啄木が生活していた関下宿から近く、高台の上には料亭もあったことから、石川啄木はこの周辺をよく歩いたのではないかと言われています。
公園内には「さいはての駅に下り立ち 雪あかり さびしき町にあゆみ入りにき」の歌碑があります。
「相生坂」は、南大通と浦見町を結ぶ2つの坂が合流する坂です。
昭和32(1957)年に公開された釧路を舞台にした映画「挽歌」のロケ地になったことから、「挽歌坂」とも呼ばれていました。
石川啄木が通ったことで知られる料亭「しゃも寅」の敷地内にあったことから「しゃも寅の井戸」と呼ばれる自噴の井戸です。
地下数百メートルの地盤の割れ目が水脈と言われ、冬でも凍ることなく、年間を通して水が湧き出ています。
すべてのスポットを見て回るのは時間がかかるので、目的に応じて4つの散策ルートを紹介します。
①米町公園~約3分~③厳島神社~約8分~④釧路崎灯台~約10分~⑤弁天ケ浜~約8分~②米町ふるさと館~約1分~①米町公園
①米町公園~約8分~⑤弁天ケ浜踏切~約12分~⑥千代ノ浦(折り返し地点)~約10分~⑤弁天ケ浜(弥生側踏切)~約7分~⑦六園荘~約6分~⑧佐野碑園~約2分~①米町公園
①米町公園~約6分~知人急傾斜地管理用道路~約4分~知人中央坂~約4分~かもめ公園~約3分~③厳島神社参道~約3分~①米町公園
①米町公園~約4分~⑨武富小路入口~約7分~⑩休み坂出口~約4分~⑪啄木ゆめ公園~約6分~⑫相生坂出口~約5分~波止場通入口~約6分~⑬しゃも寅の井戸~約6分~⑧佐野碑園~約7分~①米町公園
元町エリアは釧路発祥の地で、米町ふるさと館や厳島神社、しゃも寅の井戸など歴史を感じられるスポットがたくさんあります。
また、かつて近くの下宿に石川啄木が住んでいたことから、啄木ゆかりの場所にはいくつもの歌碑があります。
定番の観光スポットもいいですが、元町の穴場観光スポットも訪れてみませんか。